リレー物語 Advent Calendar 2016

これはAdvent Calendar 2016にて行っているリレー小説の断片です.

第九章 共感核


〈かなちゃんのこと、口外されたくなかったら、私と取引して〉

 猫田さんの言葉を思い返しながら自転車を押して自宅に向かう。
これで僕は当分身動きを拘束されてしまったようだ。猫田さんはことのほぼ全てを把握していたし、最近の西口先生の言動を見る限りあの人も何かに気付いたようである。
今日はとても暖かく、十二月にしては過ごしやすい日よりであったが、夜になるとやはり冷え込むようだ。
これから僕はどうしたら良いのだろうか。
身体の冷えは外側からではなく内側から徐々に広がって行っているように感じた。


    ●   ●


 僕は『取引』という単語に不安を隠せずにいた。また、猫田さんも『取引』という言葉を強調して発音していたように感じる。僕はできるだけ冷静を装って言葉を返す。
「取引って何だい?」
猫田さんは待ってましたとでもいうかのように答える。
「そのままの、意味。私は、あなたの失態を、口外しない。その代わりに、私に協力、してほしい。取引、してくれる?」
猫田さんはゆっくりと淡々とそう告げる。
「待ってよ猫田さん。その取引っていうのの内容が分からないのに簡単に頷くことはできない。それに僕の失態って何?君はどこまで知っているんだい?」
猫田さんはまたゆっくりと口を開く。
「お昼に、言ったはず。私は、全部、知ってる。」
そして無表情のまま言葉を続ける。
「昔から、あなたとかなちゃんが、親密なのは知ってた」
猫田さんは何かのスイッチが入ったように饒舌になり始め、ぶつ切りだった言葉も徐々につながり始める。
「先日、かなちゃんから大事な相談があるって、連絡があった。私の家に呼んで話を聞いたら、いつも笑顔のかなちゃんが、泣きそうな顔で、妊娠したかもしれないって、そう私に打ち明けた。私は驚いたけど、誰との子かは、すぐに察しがついた。そう、あなたよ。あなたよね?」
僕はなんと返せば良いのか分からなかったが、否定はできなかった。
「先日、そう僕が初めて早退した十二月五日の昼休みに僕もかなからその話を聞いた。検査を受けたら陰性だったけど、もう数か月生理が来てないって言われたよ。」
あの日は僕も頭が真っ白になって正常な判断ができなかった。全身の血液がポロロッカを起こしたような気分だった。
「そしてあなたは、かなちゃんに手を上げた。よろけたかなちゃんは、部室棟の掃除道具入れに、背中をついて――」
その先は聞きたくなかった。急に耳鳴りが起きて周りの音が聞こえなくなったが、猫田さんの言葉だけは驚くほどすんなりと僕の鼓膜を振動させた。
「背中をついて、下敷きにされた。打ち所が悪かったのか、かなちゃんはそのまま気を失って、出血した。」
僕は滔々と事件を語る猫田さんに答える。
「その通りだよ。僕は人からあんなに血が流れるのを初めて見た。そして怖くなってその場を逃げ出してしまったんだ」
すると猫田さんは不思議そうな顔をする。
「出血は、酷くなかった。打撲と、頭が少し切れた程度」
僕は咄嗟に答える。
「嘘だ!確かに僕は「違うよ」
猫田さんは僕の言葉を遮るようにそう言った。
「違う。それはあなたの、勘違い。たぶん動揺してたから。」
「そ、そうだったのか」
未だ半信半疑ではあるが、何とか猫田さんの言ったことを理解できた。あれは僕の見間違いだったのか。確かにあのときは動揺していたし、今でも断片的な記憶しか残っていないほどである。そう錯覚してもおかしくなかったのかもしれないと思うと少しほっとした気分になった。
しかし猫田さんはこう続ける。
「かなちゃんは、軽傷だった。でもお腹の赤ちゃんは、分からない」
そこでまたもや危機感が蘇る。そうだ、彼女は、かなは妊娠していたかもしれないのだ。もしもその状態で掃除道具入れの下敷きになったのであれば……
気が付けば冷汗が止まらなくなっていた。冬風に吹かれたせいか急に体温が下がるのを感じる。
ぼーっとし始めた頭でかろうじて猫田さんの言葉だけを拾う。
「でも、真相は分からない。検査は陰性だったから。もともと間違いだったかも。今後の、かなちゃんの様子を見ないと、何とも言えない。」
そうか。そもそもかなの早とちりだった可能性があるのか。でも何で……
「何で猫田さんはそんなに詳しいの?」
「私は、あの日かなちゃんの様子がおかしかったから、後を付けたの。そうしたら部室棟の裏で、あなたがかなちゃんを、押し倒すのが見えた。あなたが走り去った後に、掃除道具入れと、散乱した掃除道具を片付けて、かなちゃんを、保健室に連れて行ったの。先生には、階段で転んだって、言ってある」
「なるほどね。片付けは君がしてくれたのか。ありがとう、そしてごめんね。でもとても助かったよ。」
部室棟の裏が元通りになっていた理由が分かって少しすっきりした。
「それで取引っていうのは何だい?猫田さんとかなはずっと仲いいみたいだし、この後のかなの面倒を見るとかかな?それならもちろん「違うよ」
またもや話の途中で猫田さんに言葉を遮られてしまった。
「そう、じゃないの。」
そして猫田さんは無表情で機械のようにこう続けた。
「結果はどうであれ、かなちゃんが妊娠したという噂を学校中に広めてほしいの」
猫田さんのその言葉は今まで聞いたどの言葉よりも流暢であったように聞こえた。


    ●   ●


 初めは猫田さんの言葉を理解できなかった。意外過ぎる内容に思考回路が追い付かなかったからなのかもしれないし、脳がその内容に拒否反応を起こしたからなのかもしれない。
理由はどうあれ、猫田さんの要望が異常であることは確かだ。昼休みのときにも感じたが、やはりこの子、何かがおかしい。
「どうして君がそんなことを望むんだ!君たちは幼馴染だろう⁉」
声が力んで少し怒鳴りつけるような口調になってしまった。
対する猫田さんは、珍しく少し表情を歪ませてこう答える。
「だ、か、ら、な、の……幼馴染だから、ずっと比べられてきた。」
今まで溜め込んできたものをすべて吐き出すように、感情を押し込んだビニール袋が引き伸ばされて弾けるように、猫田さんはその心中を語り始める。
「負けたくないから、一生懸命勉強した。負けたくないから、バドミントンも、人一倍練習した。負けたくないから、学校ではいい子にしてた……何も負けたくなかった」
いつもの猫田さんからは想像がつかないほどの迫力を感じる。
「私は、全部頑張った。一生懸命やった。だから私は、全部勝ってた。勝ってたはずなのに、褒められるのは、いつも、かなちゃんだった。ちやほやされるのは、いつも、かなちゃんだった。美人で、ほど良く勉強ができて、運動も不備なくできて、人当たりも良くて、全部を平たくできるかなちゃんは、わたしより、ずっと、みんなの人気者だった。もちろん、かなちゃんは私にも、優しくしてくれた。バドもペアだし、小さいころから、一緒にいるし。だから余計に、どう振る舞えばいいのか、分からなくなった。かなちゃんに対して、アンビバレントな感情が生まれて、いつも、いつもいつもいつも私の感情は、好きと嫌いをゆらゆらしてた。愛と憎悪の狭間で、毎日葛藤してた。だから、もう、かなちゃんとは、一緒にいたくなかった。でも、幼馴染だから、それができなかった。かなちゃんは、いつでも私に近づいてきた。仲良くしてくれた。だから……だから、かなちゃんがいなくなれば、楽になると思った。私、気が付いたの。私が離れるんじゃなくて、かなちゃんを引き離せばいいんだって。そう思ったの。それに気付いてからは、毎日、かなちゃんの弱いところを、探してた。蹴落とす材料を、揃えてた。引き離す機会を、待ってた。」
「そしてやっと、その機会が訪れた。」
猫田さんはもう半分泣き崩れているようであったが、最後のひと文だけは妙に力強く言い放った。すでに肩で息をしている状態でいつもの冷静な猫田さんとは似ても似つかない状態だが、その顔はとても清々しいように見えた。
「もう一度、聞く。私と取引して」
前の二度とは違い、今回はもう僕に懇願しているようだった。
「噂を、広めてくれたら、かなちゃんと、あなたとの関係も、あなたが、かなちゃんを、押し倒したことも、全部、秘密にする。秘密にするから……」
そもそも猫田さんの取引は内容が矛盾しているようにさえ感じる。僕とかなの関係を知っている人は少なからず存在するのに、そのかなが妊娠したという噂を広めたら真っ先に疑われるのは僕である。それならここで取引を受け入れたって跳ね除けたって結果は同じじゃないか。
そう思ったが、猫田さんのあの声をあの顔を、そしてあの気持ちを知ってしまった僕は、猫田さんをただ切り捨てることができなかった。
「その取引、引き受けるよ」
猫田さんの顔がぱっと晴れるのが分かる。この子はこんな顔もできたのかと少し嬉しくなる。
「ただし、ただ噂を広めるだけというわけにはいかない。僕も猫田さんもそしてかなも三人が納得できる方法を探したい。協力してくれるかい?」
こうして僕と猫田さんの同盟生活が幕を開けたのであった。




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