リレー物語 Advent Calendar 2016

これはAdvent Calendar 2016にて行っているリレー小説の断片です.

     第六章 猫過振


 私は何をしているのだろう。
深夜零時。自宅のベランダでタバコに火を点けながらそう考える。
今日は戸村くんと話しておかなければならないことがあったはずだ。決して進路の話ではない。ましてや恋の話でもなかった。
私はどうも生徒の私事に関して口を挟むのが苦手らしい。私自身、学生時代に教師からそういう話をされるのが嫌だったからかもしれない。
「はあ…あんな話どうやって切り込めば良いのかしら」
少しして自分の声にはっと驚く。またもや心の声が口に出てしまっていた。
幸いあの連絡はまだ私のケータイで止(とど)まっているため、大事にはなっていない。しかし、学校のほかの教員に知られるのは時間の問題だろう。早いうちにことを丸く収めなければ。
冬は空気がぴんと張りつめていて、タバコの煙が身体に染みるのを強く感じる。私は無理やり副交感神経を刺激し、隊列を崩した脳細胞を整えていく。
考えろ、考えろ、考えろ……
私の次にとるべき行動は――。
タバコの火はいつの間にかフィルターの頭まで到達していた。


    ●   ●


 西口先生との面談があった翌日、僕は今日もいつも通りの時間に起床し、今まで通り東山高等学校へと足を運んでいた。まだまだ万事解決には程遠いが、ここ数日間感じていた猛烈な焦燥感は感じにくくなっている。少しずつでいい、可能な限りことを穏便に収める方法を模索しよう。
今朝はそんなことを考えながらの登校であった。
連日続いた寒波も気が付けば立ち退いており、今日はとても暖かい、心地の良い朝であった。
昨日と比べれば幾ばくか足取りが良く、図ったわけでもないのに予定より五分も早く教室に着いてしまった。
やることもないので自分の席に座り何気なく空を眺める。頂点を目掛けてすーっと抜けていくような澄み切った青色がとても印象的であった。
そうこうしているうちに沢木が登校して来たらしく、いの一番に僕の方へと駆け寄ってくる。
「おい戸村!お前ってやつは!あれほど抜け駆けはするなって釘を刺しておいたのに、昨日もみのりちゃんと何やらひそひそ話してたらしいじゃねーか!」
「それも誤解だよ。沢木は何でもかんでも色恋沙汰にこじつけ過ぎだって。昨日の話は――」
こんな風にして僕の一日は始まる。
何もかも今まで通りだ。
一昨日から続いたあれらの出来事が夢であるかと思えるほどに平和な日常がそこにはあった。
やっと僕は沢木たちと同じ世界に帰って来られたのだ。そう思うと身体がやけに軽く感じた。全身に纏わり付いていた得体の知れないものたちがぽろぽろと剥がれ落ちていくような感覚だった。


    ●   ●


 窓から顔を覗かせていた太陽はもう姿が確認できないほど高く昇り、昼休みの時間がやってきた。
沢木たちと昼食を済ませ、余った時間でまた部室棟の辺りを徘徊する。昨日すでに異常がないことを確認しているので続けて通う必要などないのだが、何となく今日もそこに来てしまった。
建物をくるりと一周歩いて回り、さて教室に戻ろうかと思ったところである違和感に気が付く。

〈なぜ、何もないんだ〉

昨日来た時に気付くべきであった重大な事実。昨日も、そして今日も、この場所がいつも通りであるはずがないのである。だって僕は確かにこの場所で…
「まさか学校内にあの事件を知っているやつがいるのか?」
現場を見られた?なぜ元に戻す必要がある?一体いつ?目的はなんだ?
分からない。分からない。もう何も分からない。
頭を硬い鈍器で殴られたような感覚がする。上手に酸素を肺に流し込むことができない。途端に舌の表面がざらつき始め、ひどい目眩が襲ってくる。
片膝を着き、もうほとんど機能を止めてしまった脳みそで状況を整理する。
校内に、事件を知っていて、なお誰にも言わず、現場を片付けた人間が、いる。
正気の沙汰ではない。常軌を逸しすぎている。そんな人間が……一体誰が……

「私、知ってるよ……」

突然背後から声が聞こえる。
「全部知ってるよ。一昨日のことも、昨日戸村君がここに来たことも、かなちゃんのことも」
身体が思うように動作せず、上手に振り返ることができない。
「今日の午後十九時に、東山町五丁目のコンビニに来て。公民館の近くのとこ。」
聞き覚えのある声である。
「待ってるから。」
とてもか細い、消え入りそうな声。虫の羽音にさえ負けてしまいそうな声。僕は確かに知っている。

 ……

 キーンコーンカーンコーン

最後の声が聞こえてからどれほどか時間が経ったころ、午後の授業が始まるチャイムが聞こえた。
僕はまた学校を早退した。


    ●   ●


 今日は母親がちゃんと家にいたため、早退の理由をとやかく聞かれる羽目となった。
適当に気分が悪くなったと伝え、足早に自室へ向かう。決して嘘はついてない。
部屋に入ると、操り人形が糸を切られたかのように全身から力が抜け、そのままベットへ横になる。
身体に負荷がかかり過ぎたせいか異常な眠気が襲ってくる。
「午後十九時、東山町五丁目のコンビニか」
僕はこの日、五年ぶりに目覚まし時計をセットして眠った。


    ●   ●


 ジリリリリリリ……

 とても寝覚めが悪い。目覚まし時計を止め、文字盤を確認すると午後十八時十五分であった。少し眠り過ぎてしまったらしい。いつもなら決めた時間に起きられるはずなのに珍しく寝坊である。
僕は急いで着替え、待ち合わせ場所へと向かう。東山町五丁目のコンビニというのは、一昨日の下校中(サボり中でもあるのだが)警察に声を掛けられた場所でなのだ。自宅から少し遠いし、何よりまたあの警察と鉢合わせる可能性があるため、できれば立ち寄りたくない。しかし、今回は一方的にその場所を指定されてしまったためやむを得ずそこに向かうしかなかった。
僕は物置から引っ張り出してきた自転車を漕ぎながら、これからの話す内容について何パターンかシミュレーションをしてみる。声の持ち主に関してはもう大方見当がついているのだが、その内容がさっぱり思いつかない。そもそも呼び付けられた目的が分からないのだ。
自転車というのは意外と走行スピードが速く、考えがまとまらないうちにコンビニに着いてしまった。
自動ドアの横に人影が見える。時計を見ると午後十八時四十五分。やはり真面目な人であるようだ。
まだこちらに気が付いていないようなので僕から声を掛ける。
「やあ、猫田さん。早いね」
すると猫田さんは間髪入れずこう言った。
「かなちゃんのこと、口外されたくなかったら、私と取引して」
それは先ほど行ったシミュレーションのどのパターンにも当てはまらないものであった。




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