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リレー物語 Advent Calendar 2016

これはAdvent Calendar 2016にて行っているリレー小説の断片です.

     第十章 後昵談


 腕時計の針を見ると午前三時がもう終わろうかというほどの時間であった。僕の愛用している腕時計は文字盤が無駄にたくさん付いているクロノグラフと呼ばれるものであるため、その日の日付や曜日まで腕時計のみで知ることができる。そしてその無駄にたくさん付いている文字盤のひとつは二十五を示していた。どうやら今日は世間でクリスマスと称される特別な日らしい。学生諸君のクリスマスと言えば、恋人や友人同士と集まって賑やかに過ごすのが一般的なのかもしれない。しかし、あいにく今日の僕の予定は真っ白である。たられば論を展開するのはいささか不快であるが、それでもやはり、今月初めから始まった一連の事件さえなければ、僕も充実したクリスマスを送れていたのではないかと思ってしまう。
そんな僻みにも近いことを考えているうちに目的のコンビニにたどり着いた。
変な時間に来てしまったため店内には誰もおらず、『がらんどう』という名詞をそのまま空間に映し出したような雰囲気であった。
この時間帯ならさすがに週刊誌の陳列は終わっているだろうと思いながら雑誌コーナーに向かう。しかし、驚くことにこちらの店舗にも一冊すら週刊誌が置かれていなかったのである。
何かがおかしいと雑誌コーナーで腕を組んで考えていると、再び腕時計が目に入る。
「!」
この瞬間僕は全てを理解した。
自分でも自らの愚かさに口がにやけてしまう。
意図せず視界に入り込んできた腕時計の片隅には、アルファベットで(Sun)と記されていたのだ。
後先考えずに動いてしまうことの恐ろしさを僕はこの一か月で痛いほど学んだはずなのに、また同じ過ちを犯してしまった。
「はあ……」
大きなため息をひとつ吐き、この店舗でも懲りずに肉まんを購入して立ち去ることにした。
レジの辺までに足を運び、十数種類もある何々まんをひとつずつ確認する。最近はチーズが入ったものやチョコが入ったものなど本当にたくさんのレパートリーがあるらしい。どれにしようかと悩んでいると、珍しく僕以外の客が店に入って来たようである。ふと入口の方に目を滑らせる。
そこには猫田さんが立っていた。
「!」
ものの数分という短い時間で二度もエクスクラメーション・マークが飛び出るような体験をしてしまった。しかし二度目の驚きの方が明らかに大きい。フォントサイズで言えば20pt以上差があるのではないかというほどの驚きである。
あの事件が収束して以来、猫田さんと会うのはこれが初めてだ。今回はこの場所での集合を約束していたわけではないので、知らぬ顔で通しても良かったのだが、猫田さんがそれを許してくれなかった。
「戸村君、久しぶり」
「やあ、猫田さん。久しぶり。と言っても一昨日も会ったよね?」
「戸村君とは、最近ずっと一緒にいた気がする、から、一日、会わないだけで、久しぶりに感じちゃったの、かな」
確かに猫田さんとは、ここ最近ずっと同じ時間を過ごしていた。良くも悪くも。
「そうだね。猫田さんから声を掛けて来てくれたってことは僕に何か用があるの?」
「これと言って、あるわけじゃないけど、久しぶりに会ったから、少しお話したくて」
「だから久しぶりじゃないって。立ち話も何だし、近くのファミレスでも行くかい?」
「うん、行く」
僕は肉まんの購入を諦め、猫田さんとファミレスへ向かう。
事件はひと通り解決しているため、これからの話は後日談ということになるのだろう。
「猫田さんとよく話すようになったのって、あの日の夜からだよね。昼休み唐突に猫田さんが現れたあの日。」
「そう、だね」
「あのときの猫田さんはもっとこう目をギラギラさせてて、今より幾分も好戦的だったよ」
「そう、かな」
「そうだよ」
僕はこれまでの猫田さんを思い出しながら言葉を続ける。
「それにだいぶ話しやすくなった。角が取れたっていうか肩の荷が下りたっていうか、そんな感じ」
「そう、かな」
「そうだよ」
他愛のない会話を交わしているうちにファミレスに到着した。
午前四時に同級生の女の子をファミレスへ誘うのは自分でもどうかと思うが、猫田さんとあの事件のことを話すならゆっくり腰を下ろせる場所が良いだろう。
とりあえずドリンクバーを二つ頼んで店内の一番奥の席を陣取る。
「戸村君、あのね……」


    ●   ●


 気が付けば二時間以上も話し込んでしまっていたらしい。
あれからお互い三、四度ドリンクバーのおかわりをはさみ、あの事件について順を追うように話し合った。十二月一日から始まり、二十二日の終業式、そしてその翌日の事件解決日とされる二十三日のこと。こうして話していると、もう遠い昔のことのようである。
話の途中、耳を塞ぎたくなるような自分の失態も多々話題に上がったが、話し終えてみると意外にも心の中がすっきりしていた。そして何より、それまで自分の感情を外に出すのが苦手だった猫田さんの笑顔が何度も垣間見えたので、こうして話し合いの場を設けた甲斐があったと思う。週刊誌の発売日を間違えていて良かった。自分の後先を考えない行動もたまには役に立つのだな、と自分の性格を少しだけ受け入れられた気がした。
女の子をこれ以上長い時間引き留めるのは良くないと思い、話をまとめに入ると猫田さんがこんなことを切り出してきた。
「今日、時間ある?」
僕は予定を確認するそぶりを見せる。確認するまでもなく真っ白なのは分かっているのだが、少し見栄を張りたかったのだ。
「えーっと、今日は何もないけど何で?」
「……」
少しの沈黙の後、猫田さんは照れくさそうにこう言った。
「みんなで、クリスマスパーティーしたい、今日」
僕は驚きを隠せなかった。あの猫田さんがこうも積極的な行動を取るなんて。驚愕のあまり咄嗟に返事を返すことができなかったため、その空白の時間に不安感を覚えたらしく猫田さんが続けて言葉を発する。
「だめ、かな?」
「だめじゃないよ!むしろウェルカム!」
慌てた返事に声が上擦ってしまって恥ずかしかった。
「ふふっ」
またもや猫田さんの微笑。まるで別人であるかのように表情が豊かになったなと実感する。
「仲いい奴ら何人か誘ってさ、ぱーっとやろうよ。きっと盛り上がると思う」
「西口先生も、誘いたい」
「それなら沢木も誘わないとな。あいつ最近、僕が西口先生と少し話しただけでキレるんだよ。」
「あと、かなちゃんも」
「うん、そうだね」
今度は変に間を空けずに答えることができた、と思う。
「何にせよもう朝の六時半だよ。今回はここでお開きにして準備は午後からにしよう」
「うん。そう、だね」
ドリンクバー代だけなので一応男として料金はすべて自分が持とうと思ったのだが、猫田さんに強く拒否されてしまい、別々で勘定を済ませることとなった。
猫田さんを家まで送るという提案も同じく拒否されたため、店の外で軽く別れを告げてひとり帰路につく。
胸の辺りがむず痒く、下腹の辺りがわくわくしてくるのを感じた。
身体中から喜びが沸き上がるような感覚であり、それは久しく感じることのなかったものだ。
空を見上げるともうだいぶ明るくなってきている。
「そろそろ日が昇る時間かな」
気付けば僕の口からそんな言葉がこぼれていた。




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第九章 共感核


〈かなちゃんのこと、口外されたくなかったら、私と取引して〉

 猫田さんの言葉を思い返しながら自転車を押して自宅に向かう。
これで僕は当分身動きを拘束されてしまったようだ。猫田さんはことのほぼ全てを把握していたし、最近の西口先生の言動を見る限りあの人も何かに気付いたようである。
今日はとても暖かく、十二月にしては過ごしやすい日よりであったが、夜になるとやはり冷え込むようだ。
これから僕はどうしたら良いのだろうか。
身体の冷えは外側からではなく内側から徐々に広がって行っているように感じた。


    ●   ●


 僕は『取引』という単語に不安を隠せずにいた。また、猫田さんも『取引』という言葉を強調して発音していたように感じる。僕はできるだけ冷静を装って言葉を返す。
「取引って何だい?」
猫田さんは待ってましたとでもいうかのように答える。
「そのままの、意味。私は、あなたの失態を、口外しない。その代わりに、私に協力、してほしい。取引、してくれる?」
猫田さんはゆっくりと淡々とそう告げる。
「待ってよ猫田さん。その取引っていうのの内容が分からないのに簡単に頷くことはできない。それに僕の失態って何?君はどこまで知っているんだい?」
猫田さんはまたゆっくりと口を開く。
「お昼に、言ったはず。私は、全部、知ってる。」
そして無表情のまま言葉を続ける。
「昔から、あなたとかなちゃんが、親密なのは知ってた」
猫田さんは何かのスイッチが入ったように饒舌になり始め、ぶつ切りだった言葉も徐々につながり始める。
「先日、かなちゃんから大事な相談があるって、連絡があった。私の家に呼んで話を聞いたら、いつも笑顔のかなちゃんが、泣きそうな顔で、妊娠したかもしれないって、そう私に打ち明けた。私は驚いたけど、誰との子かは、すぐに察しがついた。そう、あなたよ。あなたよね?」
僕はなんと返せば良いのか分からなかったが、否定はできなかった。
「先日、そう僕が初めて早退した十二月五日の昼休みに僕もかなからその話を聞いた。検査を受けたら陰性だったけど、もう数か月生理が来てないって言われたよ。」
あの日は僕も頭が真っ白になって正常な判断ができなかった。全身の血液がポロロッカを起こしたような気分だった。
「そしてあなたは、かなちゃんに手を上げた。よろけたかなちゃんは、部室棟の掃除道具入れに、背中をついて――」
その先は聞きたくなかった。急に耳鳴りが起きて周りの音が聞こえなくなったが、猫田さんの言葉だけは驚くほどすんなりと僕の鼓膜を振動させた。
「背中をついて、下敷きにされた。打ち所が悪かったのか、かなちゃんはそのまま気を失って、出血した。」
僕は滔々と事件を語る猫田さんに答える。
「その通りだよ。僕は人からあんなに血が流れるのを初めて見た。そして怖くなってその場を逃げ出してしまったんだ」
すると猫田さんは不思議そうな顔をする。
「出血は、酷くなかった。打撲と、頭が少し切れた程度」
僕は咄嗟に答える。
「嘘だ!確かに僕は「違うよ」
猫田さんは僕の言葉を遮るようにそう言った。
「違う。それはあなたの、勘違い。たぶん動揺してたから。」
「そ、そうだったのか」
未だ半信半疑ではあるが、何とか猫田さんの言ったことを理解できた。あれは僕の見間違いだったのか。確かにあのときは動揺していたし、今でも断片的な記憶しか残っていないほどである。そう錯覚してもおかしくなかったのかもしれないと思うと少しほっとした気分になった。
しかし猫田さんはこう続ける。
「かなちゃんは、軽傷だった。でもお腹の赤ちゃんは、分からない」
そこでまたもや危機感が蘇る。そうだ、彼女は、かなは妊娠していたかもしれないのだ。もしもその状態で掃除道具入れの下敷きになったのであれば……
気が付けば冷汗が止まらなくなっていた。冬風に吹かれたせいか急に体温が下がるのを感じる。
ぼーっとし始めた頭でかろうじて猫田さんの言葉だけを拾う。
「でも、真相は分からない。検査は陰性だったから。もともと間違いだったかも。今後の、かなちゃんの様子を見ないと、何とも言えない。」
そうか。そもそもかなの早とちりだった可能性があるのか。でも何で……
「何で猫田さんはそんなに詳しいの?」
「私は、あの日かなちゃんの様子がおかしかったから、後を付けたの。そうしたら部室棟の裏で、あなたがかなちゃんを、押し倒すのが見えた。あなたが走り去った後に、掃除道具入れと、散乱した掃除道具を片付けて、かなちゃんを、保健室に連れて行ったの。先生には、階段で転んだって、言ってある」
「なるほどね。片付けは君がしてくれたのか。ありがとう、そしてごめんね。でもとても助かったよ。」
部室棟の裏が元通りになっていた理由が分かって少しすっきりした。
「それで取引っていうのは何だい?猫田さんとかなはずっと仲いいみたいだし、この後のかなの面倒を見るとかかな?それならもちろん「違うよ」
またもや話の途中で猫田さんに言葉を遮られてしまった。
「そう、じゃないの。」
そして猫田さんは無表情で機械のようにこう続けた。
「結果はどうであれ、かなちゃんが妊娠したという噂を学校中に広めてほしいの」
猫田さんのその言葉は今まで聞いたどの言葉よりも流暢であったように聞こえた。


    ●   ●


 初めは猫田さんの言葉を理解できなかった。意外過ぎる内容に思考回路が追い付かなかったからなのかもしれないし、脳がその内容に拒否反応を起こしたからなのかもしれない。
理由はどうあれ、猫田さんの要望が異常であることは確かだ。昼休みのときにも感じたが、やはりこの子、何かがおかしい。
「どうして君がそんなことを望むんだ!君たちは幼馴染だろう⁉」
声が力んで少し怒鳴りつけるような口調になってしまった。
対する猫田さんは、珍しく少し表情を歪ませてこう答える。
「だ、か、ら、な、の……幼馴染だから、ずっと比べられてきた。」
今まで溜め込んできたものをすべて吐き出すように、感情を押し込んだビニール袋が引き伸ばされて弾けるように、猫田さんはその心中を語り始める。
「負けたくないから、一生懸命勉強した。負けたくないから、バドミントンも、人一倍練習した。負けたくないから、学校ではいい子にしてた……何も負けたくなかった」
いつもの猫田さんからは想像がつかないほどの迫力を感じる。
「私は、全部頑張った。一生懸命やった。だから私は、全部勝ってた。勝ってたはずなのに、褒められるのは、いつも、かなちゃんだった。ちやほやされるのは、いつも、かなちゃんだった。美人で、ほど良く勉強ができて、運動も不備なくできて、人当たりも良くて、全部を平たくできるかなちゃんは、わたしより、ずっと、みんなの人気者だった。もちろん、かなちゃんは私にも、優しくしてくれた。バドもペアだし、小さいころから、一緒にいるし。だから余計に、どう振る舞えばいいのか、分からなくなった。かなちゃんに対して、アンビバレントな感情が生まれて、いつも、いつもいつもいつも私の感情は、好きと嫌いをゆらゆらしてた。愛と憎悪の狭間で、毎日葛藤してた。だから、もう、かなちゃんとは、一緒にいたくなかった。でも、幼馴染だから、それができなかった。かなちゃんは、いつでも私に近づいてきた。仲良くしてくれた。だから……だから、かなちゃんがいなくなれば、楽になると思った。私、気が付いたの。私が離れるんじゃなくて、かなちゃんを引き離せばいいんだって。そう思ったの。それに気付いてからは、毎日、かなちゃんの弱いところを、探してた。蹴落とす材料を、揃えてた。引き離す機会を、待ってた。」
「そしてやっと、その機会が訪れた。」
猫田さんはもう半分泣き崩れているようであったが、最後のひと文だけは妙に力強く言い放った。すでに肩で息をしている状態でいつもの冷静な猫田さんとは似ても似つかない状態だが、その顔はとても清々しいように見えた。
「もう一度、聞く。私と取引して」
前の二度とは違い、今回はもう僕に懇願しているようだった。
「噂を、広めてくれたら、かなちゃんと、あなたとの関係も、あなたが、かなちゃんを、押し倒したことも、全部、秘密にする。秘密にするから……」
そもそも猫田さんの取引は内容が矛盾しているようにさえ感じる。僕とかなの関係を知っている人は少なからず存在するのに、そのかなが妊娠したという噂を広めたら真っ先に疑われるのは僕である。それならここで取引を受け入れたって跳ね除けたって結果は同じじゃないか。
そう思ったが、猫田さんのあの声をあの顔を、そしてあの気持ちを知ってしまった僕は、猫田さんをただ切り捨てることができなかった。
「その取引、引き受けるよ」
猫田さんの顔がぱっと晴れるのが分かる。この子はこんな顔もできたのかと少し嬉しくなる。
「ただし、ただ噂を広めるだけというわけにはいかない。僕も猫田さんもそしてかなも三人が納得できる方法を探したい。協力してくれるかい?」
こうして僕と猫田さんの同盟生活が幕を開けたのであった。




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     第六章 猫過振


 私は何をしているのだろう。
深夜零時。自宅のベランダでタバコに火を点けながらそう考える。
今日は戸村くんと話しておかなければならないことがあったはずだ。決して進路の話ではない。ましてや恋の話でもなかった。
私はどうも生徒の私事に関して口を挟むのが苦手らしい。私自身、学生時代に教師からそういう話をされるのが嫌だったからかもしれない。
「はあ…あんな話どうやって切り込めば良いのかしら」
少しして自分の声にはっと驚く。またもや心の声が口に出てしまっていた。
幸いあの連絡はまだ私のケータイで止(とど)まっているため、大事にはなっていない。しかし、学校のほかの教員に知られるのは時間の問題だろう。早いうちにことを丸く収めなければ。
冬は空気がぴんと張りつめていて、タバコの煙が身体に染みるのを強く感じる。私は無理やり副交感神経を刺激し、隊列を崩した脳細胞を整えていく。
考えろ、考えろ、考えろ……
私の次にとるべき行動は――。
タバコの火はいつの間にかフィルターの頭まで到達していた。


    ●   ●


 西口先生との面談があった翌日、僕は今日もいつも通りの時間に起床し、今まで通り東山高等学校へと足を運んでいた。まだまだ万事解決には程遠いが、ここ数日間感じていた猛烈な焦燥感は感じにくくなっている。少しずつでいい、可能な限りことを穏便に収める方法を模索しよう。
今朝はそんなことを考えながらの登校であった。
連日続いた寒波も気が付けば立ち退いており、今日はとても暖かい、心地の良い朝であった。
昨日と比べれば幾ばくか足取りが良く、図ったわけでもないのに予定より五分も早く教室に着いてしまった。
やることもないので自分の席に座り何気なく空を眺める。頂点を目掛けてすーっと抜けていくような澄み切った青色がとても印象的であった。
そうこうしているうちに沢木が登校して来たらしく、いの一番に僕の方へと駆け寄ってくる。
「おい戸村!お前ってやつは!あれほど抜け駆けはするなって釘を刺しておいたのに、昨日もみのりちゃんと何やらひそひそ話してたらしいじゃねーか!」
「それも誤解だよ。沢木は何でもかんでも色恋沙汰にこじつけ過ぎだって。昨日の話は――」
こんな風にして僕の一日は始まる。
何もかも今まで通りだ。
一昨日から続いたあれらの出来事が夢であるかと思えるほどに平和な日常がそこにはあった。
やっと僕は沢木たちと同じ世界に帰って来られたのだ。そう思うと身体がやけに軽く感じた。全身に纏わり付いていた得体の知れないものたちがぽろぽろと剥がれ落ちていくような感覚だった。


    ●   ●


 窓から顔を覗かせていた太陽はもう姿が確認できないほど高く昇り、昼休みの時間がやってきた。
沢木たちと昼食を済ませ、余った時間でまた部室棟の辺りを徘徊する。昨日すでに異常がないことを確認しているので続けて通う必要などないのだが、何となく今日もそこに来てしまった。
建物をくるりと一周歩いて回り、さて教室に戻ろうかと思ったところである違和感に気が付く。

〈なぜ、何もないんだ〉

昨日来た時に気付くべきであった重大な事実。昨日も、そして今日も、この場所がいつも通りであるはずがないのである。だって僕は確かにこの場所で…
「まさか学校内にあの事件を知っているやつがいるのか?」
現場を見られた?なぜ元に戻す必要がある?一体いつ?目的はなんだ?
分からない。分からない。もう何も分からない。
頭を硬い鈍器で殴られたような感覚がする。上手に酸素を肺に流し込むことができない。途端に舌の表面がざらつき始め、ひどい目眩が襲ってくる。
片膝を着き、もうほとんど機能を止めてしまった脳みそで状況を整理する。
校内に、事件を知っていて、なお誰にも言わず、現場を片付けた人間が、いる。
正気の沙汰ではない。常軌を逸しすぎている。そんな人間が……一体誰が……

「私、知ってるよ……」

突然背後から声が聞こえる。
「全部知ってるよ。一昨日のことも、昨日戸村君がここに来たことも、かなちゃんのことも」
身体が思うように動作せず、上手に振り返ることができない。
「今日の午後十九時に、東山町五丁目のコンビニに来て。公民館の近くのとこ。」
聞き覚えのある声である。
「待ってるから。」
とてもか細い、消え入りそうな声。虫の羽音にさえ負けてしまいそうな声。僕は確かに知っている。

 ……

 キーンコーンカーンコーン

最後の声が聞こえてからどれほどか時間が経ったころ、午後の授業が始まるチャイムが聞こえた。
僕はまた学校を早退した。


    ●   ●


 今日は母親がちゃんと家にいたため、早退の理由をとやかく聞かれる羽目となった。
適当に気分が悪くなったと伝え、足早に自室へ向かう。決して嘘はついてない。
部屋に入ると、操り人形が糸を切られたかのように全身から力が抜け、そのままベットへ横になる。
身体に負荷がかかり過ぎたせいか異常な眠気が襲ってくる。
「午後十九時、東山町五丁目のコンビニか」
僕はこの日、五年ぶりに目覚まし時計をセットして眠った。


    ●   ●


 ジリリリリリリ……

 とても寝覚めが悪い。目覚まし時計を止め、文字盤を確認すると午後十八時十五分であった。少し眠り過ぎてしまったらしい。いつもなら決めた時間に起きられるはずなのに珍しく寝坊である。
僕は急いで着替え、待ち合わせ場所へと向かう。東山町五丁目のコンビニというのは、一昨日の下校中(サボり中でもあるのだが)警察に声を掛けられた場所でなのだ。自宅から少し遠いし、何よりまたあの警察と鉢合わせる可能性があるため、できれば立ち寄りたくない。しかし、今回は一方的にその場所を指定されてしまったためやむを得ずそこに向かうしかなかった。
僕は物置から引っ張り出してきた自転車を漕ぎながら、これからの話す内容について何パターンかシミュレーションをしてみる。声の持ち主に関してはもう大方見当がついているのだが、その内容がさっぱり思いつかない。そもそも呼び付けられた目的が分からないのだ。
自転車というのは意外と走行スピードが速く、考えがまとまらないうちにコンビニに着いてしまった。
自動ドアの横に人影が見える。時計を見ると午後十八時四十五分。やはり真面目な人であるようだ。
まだこちらに気が付いていないようなので僕から声を掛ける。
「やあ、猫田さん。早いね」
すると猫田さんは間髪入れずこう言った。
「かなちゃんのこと、口外されたくなかったら、私と取引して」
それは先ほど行ったシミュレーションのどのパターンにも当てはまらないものであった。




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     第四章 遷急転


 母親の朝食を支度する音で目が覚める。
昨日はあれから一度も目が覚めなかったらしい。
この時期は掛布団がなかなか身体から降りてくれないため、長時間かけて構築された心地よい空間で睡眠の余韻を味わう。窓の方を見るとほんのり明るみ始めている空が見えた。だいたい午前六時といったところであろうか。
僕は騒ぎ立てる目覚まし時計によって夢から引き剥がされるのが気に食わないため、自然と目が覚めるのを待つようにしているのだ。もうかれこれ五年以上こんな起床を繰り返しているので、身体に習慣が染み付いてしまったらしく毎日決まった時間に目が覚めるようになってしまった。
脱力し切った身体にぐっと力を込めて、上半身を勢いよく持ち上げる。尾骨から頚骨にかけてぽきぽきと小気味の良い音が鳴り響き、筋繊維がぴんと引き伸ばされるのを感じる。
「よし、そろそろ僕も起きるとしよう」
心の中でそう呟いたところで、僕は身体に纒わり付く不快感に気が付いた。昨晩はお風呂に入らず寝入ってしまったため、汗で身体がベタベタしているらしい。ましてや昨日はあちらこちらを駆けずり回ったのである。この仕打ちは当然のことだろう。
僕はまず母に朝の挨拶をし、その足でシャワーを浴びることにした。
今の母の様子を見るに、やはり昨日の学校でのことはまだ知らないのだろう。
脱衣場でくたびれた衣服を脱ぎ捨てて風呂場に入り、赤い方のつまみを大きく回す。
数秒間待ち、水が暖まったところでシャワーヘッドを自分に向けると身体の表面がじわじわと熱くなるのを感じた。身体中からベトベトしたものがいっせいに流れていくのが分かった。
昨日の出来事もこのベトベトと一緒に全て流れてしまえばいいのに。
やるせない気持ちを振り払うようにいつもより幾分か時間をかけて身体を洗った。
気のせいか今日はやけに水捌けが悪く、入念に立てた泡が排水口の上に残ってしまった。


    ●   ●


 いつも通りの身支度を機械のようにこなし、僕は今日も学校へ向かった。
昨日の出来事があったため、いっそ休んでしまおうかと思ったが、今までまじめに学校生活を送ってきた自分がそれを許してくれなかったのである。高校までの道のりは歩いて約三十分。僕は自転車にも乗らず、とぼとぼと歩いて向かう。寒い時期に自転車で登校すると、指先がきりきりと凍てついて一時間目の授業をまともに受けられなくなるからである。また、こうしてポケットに手を突っ込み、考え事をしながら歩く時間が好きだというのもある。
「あっ……」
ここで初めて自分が鞄を持っていないことに気が付いた。昨日学校に忘れてきてしまったのであった。
まあ、昨日の午前の授業ではこれといった宿題も出ていなかったし、何とかなるだろう。
そんなことを考えながら見慣れた道を歩く。自分の中ではもう半分以上進んだと思っていたのに、周りを見渡すとまだ三分の一程度であった。
あれ、おかしいな。今日の通学路がいつもより長く感じるのは昨日のダッシュのせいか?
それとも…
僕はここで考えるのを止め、嫌な考えをその場に置いていくかのようにして歩みを速めた。ただでさえ昨日の早退のことがあるのに、この上遅刻までしてしまったら何を言われるか分からない。それだけは避けなければ。
それからの通学路は流れるように過ぎ去って行き、気が付けばもう校門の辺りにいた。何とかいつも通りの時間に間に合ったらしい。これで遅刻は回避できるだろうと思い、一抹の安心感に浸っていると突然後ろから声を掛けられた。
「よう、戸村!元気か?」
どうやら同じクラスの沢木らしい。
「お前昨日はどうしたよ?午後の授業いなかったじゃねーか。階段を全速力で駆け降りる戸村を見たってやつもいたしよ」
「別に、ちょっと急な腹痛に見舞われただけだよ。」
「はあ?なんだそれ。まあ何にせよ、いつも涼しい顔してるお前の必死な姿、一度拝んでおきたかったぜ」
沢木はにへらと意地の悪そうな笑みを見せ、僕の方に腕を掛けてくる。
「それともう一つ聞いておきたいことがある」
沢木が性に合わない真面目な様子で僕に顔を近づけてきた。まさか昨日の事件がもう出回っているのか?じわりと嫌な汗が背筋を伝う。
「お前昨日特別棟でみのりちゃんとひっそり会ってたらしいじゃねーか。学校随一の美人教師として有名なみのりちゃんとどうやってお近づきになったんだよ!」
「何だ、そんなことか。」
どうやら僕の勘は外れたらしい。
「そんなことじゃねーよ!お前!抜け駆けしたら許さねーからな!」
「昼休みに特別棟のトイレに行こうと思ったら、たまたま階段を下りてくる西口先生と会ったんだよ。ほら、特別棟って昼間は誰も来ないから落ち着いてできるだろ」
「怪しいな。お前が特別棟に行く理由はそれでいいとしても、どうしてみのりちゃんが特別棟にいるんだよ。」
「隠れてタバコでも吸ってたんじゃないの?話してるとき少しタバコ臭かったからさ。たぶん若くて美人でみんなに人気な先生だから、喫煙所で堂々と吸えなかったんでしょ。イメージとか崩れちゃうし」
「なあに~!あのみのりちゃんがタバコ!?お前それは本当なのか?」
あ、これは隠しておいた方が良かったかもしれない.西口先生にはいつもお世話になっているので、恩を仇で返すようで少し申し訳ない気分になった。
「でも沢木。それあんまり人には言わない方がいいよ。変な噂が広まったら西口先生可哀そうだろ?」
「確かにな!でもこれは今年一番の驚きだぜ。今年ももう終わるけどさ。」
これで多少はフォローできただろう。いい機会だし、僕が昨日いなかった午後の学校の様子を少しでも沢木から聞いておくことにしよう。
「そういえば沢木。昨日僕がいなかった間に学校で何かあったか?」
僕達は自分のクラスに向かいながら話を続ける。
「おお、あったぜ!」
「!」
「五時間目の古典の授業で、みのりちゃんがすっげえエロい声上げたんだよ。あれは堪らなかったぜ」
「お前また西口先生の話かよ。西口先生は既婚者だぞ。もう諦めなって」
ちょっと聞いてみたかったなと思ってしまった自分が恥ずかしかった。
「たとえ負け戦であろうと、俺は絶対に背を見せないんだ!」
恰好が良いように聞こえるが、人妻にアプローチしようとしている奴が言う台詞ではないと思う。
「ああ、あとお前と同じく午後の授業から佐伯がいなかったな。あいつはいつも元気溌剌ってイメージなのに、この寒さでとうとうぶっ倒れたのか?」
「……」

 キーンコーンカーンコーン

「あ、HR(ホームルーム)始まるからそろそろ自分の席に戻るわ。またな!」
不自然に空いてしまった間を都合よく朝のチャイムが補完してくれた。
別れを告げる沢木に対して、僕は何も言うことができなかった。


    ●   ●


 それからというもの、何の滞りもなく時間は過ぎて行った。朝のHRで担任の先生から何か言われるかと思ったが、驚くことに話題に上がることすらなかった。仲の良い友達には何度か茶化されたが、しかしその程度である。
昼休みの時間に何気なく部室棟の辺りや特別棟も散歩してみたが、今までと変わらない風景がそこにあるだけだった。放火魔は現場に戻るという心理学的行動を体現してしまったような気がして少し気分が悪かったが、しかし何もないに越したことはない。僕は昨日からもう何度目か分からない安堵の念を抱き、特別棟のトイレで一人の時間を満喫した後、今日はちゃんと午後の授業の向かったのであった。


    ●   ●


とうとう何もないまま午後の授業も終わり、帰りのHRの時間となった。この調子でいけば明日からはいつも通りの生活を送れるかもしれない。時間が全てを解決してくれるかもしれない。そんな楽観的なことを考えていると副担任の西口先生が教室に入ってきた。
「それでは帰りのHRを始めます。みんな席に着いて」
騒然としていた教室がものの数秒で静寂に変わる。
「まずは配布物のお知らせから。期末テストの日程が決まったので、日程表とテスト範囲を配ります」
「「えー」」
先ほどの静寂が嘘であったかのように教室内がまたざわつき始めた。
「みのりちゃん、古典の範囲広過ぎないですかあ?」
沢木は相も変わらず西口先生にちょっかいを掛けているようであった。
「はいみんな静かに!そして猫田さん、あなた今日欠席してる佐伯さんと幼馴染よね?帰り道のついででいいから佐伯さんに配布物を届けてくれないかしら」
「は、はい…。分かりました。」
忘れていた気味の悪い現実に一気に引き戻された気がした。わざとずらしていた目の焦点を無理やり合わせられたような感覚だった。
「それから戸村くん、HRが終わったら少し職員室まで来てちょうだい」
朝からゆっくりと登ってきた平穏への道のりを一気に転げ落ちた気分であった。
身体中からベトベトしたものがいっせいに流れ出て来るのが分かった。
転げ落ちた山の麓から見た平穏はひどく遠く霞んでいるように見えた。




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     第二章 夢幻隙


 まだ暗いのに目が覚めてしまった。
何だか嫌な夢を見たような気がするがもう覚えてはいない。
時計を見ると短い針が数字の 2 の辺りを指している。この暗さで午後二時ということはあるまい。
「ちょっと昼寝し過ぎたかな」
誰に聞かせる訳でもなくひとり部屋でそう呟いた。
さしてやることも思い当たらないため、再び眠りに就こうかと思ったその時、僕は今日が週刊誌の発売日であることに気が付いた。
気分に任せて最寄りのコンビニに足を運んだのだが、そこにはまだ週刊誌が陳列されていなかった。
抜かった、まだ早かったかと思いつつ、何も買わずに店を出るのは少し気が引けるため、肉まんをひとつ買ってそそくさと店を出る。この時期になると、格別美味い訳でもないコンビニの肉まんが無性に食べたくなるのだ。
自分で言うのも何だが、僕は融通が利くタイプではない。一言で言えば頑固なのである。今だって、週刊誌が手に入るまでは家に帰ってやるもんかという気概でいる。後先考えずに動いてしまうこんな自分に嫌気が指したが、これが自分なのだと割り切り、ふらふらとニ番目に近いコンビニに向かう。
さっき買った肉まんの裏の紙を剥がし、規則的にくっ付いた肉まんの薄皮を見つめながらあの日のことを思い出す。
そう、こんなにも頻繁にニ番目に近いコンビニへ向かうようになったのはあの日以来なのである。
あの日だって僕がもう少し融通の利く人間だったら……


    ●   ●


「西口先生って、なんで先生になろうと思ったんですか?」
「もう、恥ずかしいからあんまりそういうこと聞かないでよ」
「いいじゃないですか、教えてくださいよ。僕、西口先生ってあまり教師に向いてないと思うのに、なぜこの職業を選んだのか、すごく気になります」
「大人をからかうんじゃありません。でも誰にも言わないって約束できるのなら……」
僕は、西口先生と他愛のない会話をしつつ、渡り廊下を通って教室棟に向かう。
モヤモヤしたものを全部身体の中心に押し固めて、教室に戻るまでの間だけでも今まで通りの自分を装う。幸い西口先生は自分の話に夢中で、僕の未だ治まりきらない動揺に気が付いていないようである。
ようし、この調子なら今日一日は普通に乗り切れるかもしれない。
自分の教室が近づいてきたところで話半ばな西口先生に別れの挨拶を告げ、五、六時間目は居眠りでもしてやり過ごそう。
「じゃあ先生、僕の教室ここなんで!お話はまた改めて聞かせてください。」
「え?五時間目は私、戸村くんのクラスで授業なんだけど?」
「え?」
自分の中で完成していた今後の計画が一瞬にして崩れ落ちた。
「戸村くんさっきから少し様子がおかしいわよ。私が話している最中もずっとぼーっとしてたし。やっぱり特別棟で何かあったの?」
西口先生の何かあったの?という言葉は僕の想像である。
実際は、先生が言葉を言い終える前にその場を駆け出していた。
さっきの西口先生との会話は取り消しだ。ここまで機敏に生徒の変化を察知できる人間が教師に向いていないはずがない。
それとも僕の様子が馬鹿でもわかるほどに異常だったのか?
今はそんなことどうだっていい。
気が付くと僕は、荷物も持たずに校門まで来ていた。
あーあ、これでもう公になるのは時間の問題だろう。
この日僕は、生まれて初めて学校をサボタージュした。


    ●   ●


 少し落ち着いた僕は、朝来た道を反対向きに歩きながらこれからについて考えていた。
しかし、一朝一夕で答えが出るはずもない。
そんなに簡単な問題ならば、僕はここまで悩んでいないのだ。
数百メートル歩いて考えたところで、僕はもう答えを出すことを諦めており、脳回路が今日今からどうするかということに移行していた。
どうせ学校から両親に連絡が入るだろうから何時に帰ったって同じなのだが、小さな反抗としていつもと同じ時間に帰ってやろうと思った。また、初めてのサボりを満喫したいという気持ちもあった。実を言うと、こちらの気持ちの方が大きかったのかもしれない。
幸いと言っていいのか分からないが、僕は常時財布をポケットに入れて持ち歩くタイプであったため、お金はあった。
「まずはゲーセンでも行って、コンビニで買い食いして、本屋で立ち読みして、それから……」
この時には、すでに今日あったことなんてすっかり忘れていた。
人の記憶なんてその程度のものなのかもしれない。
僕はまず、ゲームセンターに入り、気になるゲームをひと通り触ってみた。授業をサボってやるゲームはいつもより数倍楽しかった。まだ少し遊び足りない気もするが、小腹が空いてきたのでゲームセンターはここで切り上げ、次はコンビニで買い食いをすることにした。
しかし、自分は学校をサボっている身である。いつも通っている自宅の最寄りのコンビニへ行って、いつもいる店員さんにサボりを見られたくないという感情が生まれたため、少し離れたニ番目に近いコンビニへ向かうことにした。自分でも変な見栄を張っているなと思いつつ、無限にあるように感じられるこの時間を垂れ流しにしながら歩く。
久しぶりに自分が自由であるような錯覚に陥り、ひどく心地が良かった。
数十分歩き、やっとの思いでコンビニに到着したときには、もう身体が芯まで冷え切っていた。
よく考えれば冬真っただ中なのである。
自分は何をしているんだと思いつつ、ホットの缶コーヒーと肉まんを購入する。
こんな寒い日には、格別美味い訳でもないコンビニの肉まんが無性に食べたくなるのだ。
自動ドアの横で、肉まんの裏の紙を薄皮がくっ付かないよう慎重に剥がしていると、突然誰かに声を掛けられた。
「君、そこで何してるの?」
はっとなって顔を上げると、声の主は中年の警察官であった。
一気に血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「今、まだ授業中だよね?なんでこんなところにいるの?」
こんな時間に制服姿の子供が買い食いをしていたら目立つのは当然である。
「あっ……あの」
「何だい?」
頭の中が真っ白になり、言葉を発するより先に僕は駆け出していた。
また逃げてしまった。
自分が自由であるという気持ちはやはり錯覚であったらしい。
「おい、君!」
僕はできるだけ全速力で、且つたくさんの曲がり角を曲がって逃亡した。
今日は逃げてばかりである。脱獄囚にでもなった気分だ。
何とか警察を巻いて帰宅することができた。しかし、慌てて自宅に帰って来てしまったため、僕の小さな反抗は儚く幕を閉じたのであった。
「今日は厄日だなあ。」
そう言いながら玄関のドアノブに手を掛ける。
がちゃん
玄関のドアには鍵が掛かっており、僕の掛けた力は作用反作用の法則によってそのまま自分に返ってきた。
いつもより少し早い帰宅に母親が何か言ってくるかと思ったが、僕の杞憂であったらしい。
家の中は静寂に支配されており、食卓の上に置かれているラップをかけられた夕食と、『ごめんね。今日は遅くなります』という母の字の置手紙が少し寂しそうに見えた。
しかし、これで今日学校から電話が掛かってきても、僕のサボりが母に伝わることはないだろう。
そう思うと、安堵の念とともに強烈な眠気が襲ってきた。
いつもならまだ学校にいるはずの時間なのに今日はひどく疲れたような気がする。ゲームセンターでやったゲームは確かにいつもより楽しかったはずなのに、何故か心が満たされていなかった。
「とりあえず着替えて横になろう」
机の上に置いた缶コーヒーと肉まんはすでに冷え切っていた。


    ●   ●


 リリリリリリリリ……

 僕の眠りは電話の呼び出し音によって敢え無く疎外された。
しかし、それは幸運であったと言えるかもしれない。何故なら僕はこの時ひどい悪夢を見ていたからである。夢の中からでも自分がかなりの寝汗をかいていると分かるほどのものであった。案の定、身体がベタベタして気持ちが悪かった。

 リリリリリリリリ……

電話はまだ鳴りやまない。
時計を見ると午後七時前である。
きっと学校からの電話だろう。自分が学校をサボった連絡を自分で聞いても仕方がないため、電話には出ないことにする。

 リリリリリリリリ……
 リリリリリリリリ……
 リリリリ

 ……

電話が鳴りやんでから数分間、僕はもう一度今日の出来事について振り返った。
何度考えてもやはりこれといった答えは出ず、もうどうにでもなれという気分にさえなった。
この後の眠りは不思議と清々しいものであった。





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